鉄腕アトムとウルトラQ・怪獣ブーム雑感


今回は怪獣ブームについてのたわごとです。


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1963年1月から放送された鉄腕アトムは、日本初の本格的なテレビアニメシリーズでした。
それ以前、国産アニメは東映動画の長編作品を中心に年に数回、映画館でしか見られないものでした。
アトムの放送開始は、モノクロ30分とはいえ「毎週アニメを家のテレビでタダで見られる」という状況を生み出すブレイクスルーとなりました。

一方、3年後の1966年1月放送開始のウルトラQは日本初の本格的な特撮・怪獣番組です。
こちらもそれまでは年に数回映画館でしか見られなかった特撮映像を、毎週テレビでタダで見られる状況を作った点でアトムのケースとよく似ています。
しかしその実現の過程を考えると、アトムとウルトラQはまったく異なる作られ方をしているように思えます。


映像にはニュース、ドキュメンタリー、ドラマ、スポーツ、バラエティなど色々なジャンルがありますが、そうした中でアニメと特撮には桁違いの手間と時間がかかり、大きな予算が必要になります。
基本的にカメラを向ける被写体がすでに存在している他ジャンルと異なり、アニメや特撮では空や地面から建造物、登場キャラクターまですべてを人の手で作り出さねばなりません。
当然、膨大な時間とマンパワーが必要であり、それゆえにテレビの規模には収まらず、本格的な国産テレビ番組は実現できない状況だったと想像されます。




鉄腕アトムの場合は、その壁を「徹底的な省力化」で乗り越えたように思えます。

1958年の白蛇伝以降本格化した国産アニメ映画は、おおむね年1本の東映動画作品と散発的な他社作品(おとぎプロなど)があったようです。
仮に、1年あたりの完成映像の総時間をざっくりと120分と考えると、1週間では2分18秒。
30分のテレビ番組にはこの10倍以上の映像が必要です。
しかもこの数字は東映動画などの専門的に育成された手練れの戦力をもとにした国内すべての総計ですが、アトムを制作する虫プロは経験者の少ないいちプロダクションにすぎません。
数字から考えると、毎週30分のテレビアニメなど実現不可能です。

そこでアトムが取った方策は徹底的な「省力化」、言い換えれば可能な限りの「手抜き」です。
かなり端折ったおおまかな説明になりますが、ディズニーやそれを手本とした東映などは1秒あたり24枚の絵を基本としましたがアトムの場合は1秒当たり8枚でした。
そのうえしゃべっているキャラクターの顔は1枚の止め絵で口の部分だけを置き換えるとか、画面に歩いて入って来る人物は足元を見せないようにして止め絵を引っ張るだけで済ます、一度描いた絵は残しておいて似たような画面に流用する、などあらゆる手段で省力化を進め、なんとか毎週放送の国産テレビアニメを成立させてしまったのです。

放送されたアトムを見た東映スタッフなどには「こんな粗悪品はすぐに消えるだろう」と考えた人もいたようですが、「毎週タダで見られる国産アニメ、しかも雑誌マンガで人気の鉄腕アトム」は大ヒットします。
やがて省力化の技法は次第に洗練・進化して、ディズニー調のフルアニメとは別の「日本独自のアニメ表現」となって現在まで受け継がれることになります。




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ではウルトラQの場合はどうでしょうか。
こちらは対照的に「可能な限り劇場映画のクオリティに近づける」ことを基本としているように思えます。

前述の通り、本来は特撮・怪獣映像はテレビの規模には収まりません。
ウルトラQ以前にも実写ドラマに怪獣が登場した散発的な例はありますが、映像表現の質において劇場映画とは隔たりの大きいものだったようです。

ウルトラQの場合「初めて」ゆえに企画の全体像(特に経済面の収支)を把握できる人物がいなかったこと、TBSのオプチカルプリンター購入による制作の必然性と事前制作方針に乗っていたこと、当初SFアンソロジーだったが局側プロデューサーの意向で制作開始後に怪獣番組に変更されたこと、円谷英二という絶対的なカリスマが映像の質にこだわり、若いスタッフが身を粉にして働いたこと…などが相乗した結果、ありえないはずのテレビ特撮・怪獣番組が「幸運にも成立してしまった」状況だったように思えます。


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しかも放送するや高視聴率の大ヒットなのですぐに同路線の新番組(ウルトラマン)も決定し、怪獣ブームを巻き起こしつつなし崩し的に制作が続けられ、遂に時間切れ(制作・納品が放送に間に合わない)という事態に陥って放送終了を迎えています。
放送に間に合わないという事実は「テレビ番組の規模に収まっていない」ことを端的に示しています。

ウルトラQのヒットに端を発した「第1次怪獣ブーム」時期の作品は、他社も含めテレビでの特撮番組の黎明期でもあり、いずれもウルトラQ・ウルトラマンのクオリティに引きずられていたようです。
倹約を徹底する東映でさえ、キャプテンウルトラは「民放の雄たるTBSとの初仕事」として採算度外視だったし、ジャイアントロボは高視聴率でNETから継続を望まれたが赤字の累積で2クール以上は続行不可能だったようです。



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こうしたクオリティ重視の傾向はウルトラセブンの1クール目ころまで続いたようですが、それ以後は制作会社の経済問題が深刻化して徐々にタガが緩んでいったようです。
美術の池谷仙克氏は「ウルトラマンでは予算のことなど考えもしなかったが、セブンの途中で初めて円谷英二氏から予算も考えて仕事をするよう言われた」と語っておられました。


第1次怪獣ブームの終了は視聴者が怪獣に飽きて妖怪なりスポ根なりに興味が移っていったことが要因とよく言われます。
それも事実でしょうが、ウルトラQ・ウルトラマンレベルの作品は予算的にも時間的にもテレビの規模には収まらないことが明確化して作り続けられなくなったというのも大きな理由だったのではないでしょうか。
「ウルトラ」は、言葉通りテレビを超越した番組だったのでしょう。




「ブーム後の1969~70年にも怪獣の人気は根強く持続していた」とよく語られますが、第1次ブーム期の作品は「本来はテレビではありえない」レベルのものだったのですから、本放送に間に合わなかった世代の視聴者も当然魅了されます。
リアルタイムでは同種の番組がすでに存在しないのですから、再放送で触れるそれらの作品に心を奪われ、ソフト人形やブロマイド、絵本などの怪獣商品に群がります。
「第2次怪獣ブームはオモチャが呼び水になった」といった言説もよく見かけますが、第1次ブーム期の作品がそれだけ魅力的だったから関連商品も売れたわけで、因果関係を逆に見ているように思えます。


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そして1971年以降は特撮・怪獣番組が量産されて「第2次怪獣ブーム」となりますが、それが実現できたのは特撮・怪獣番組が遅まきながらテレビアニメと同様の「省力化」に舵を切ったことが大きな要因だったはずです。
「帰ってきたウルトラマン」の企画書には「製作費はズバリ〇万円でOK!」というような文言があったと記憶していますが、予算規模の縮小が番組成立の重要な要件だったことがわかります。
経験の蓄積と技術の進歩で効率的な制作が可能になり、テレビ番組の枠をはみ出さずにうまく収められるようになったことで、第2次怪獣ブーム=変身ブームの熱狂が生み出されたのでしょう。
実際に円谷プロは、1972年ころには第1次ブーム期から累積した赤字をきれいに清算できたそうです。

しかし一方で、効率化は同時に質の低下の危険を常に孕みます。
第1次ブーム期の作品が古参のファン層によって神格化される論調に下の世代が反発するような傾向も一時期ありましたが、第1次ブーム期の作品が特撮映像の質において優れていたのは客観的な事実でしょう。

放送から10年以上経過した1979年に「ウルトラマン」の再編集映画が公開されて好評だったこと、またその2作目では新撮部分が本編よりはるかに劣るクオリティだったという事実は、第1次ブーム当時の質の高さを証明していたと言えそうです。

とはいえそれは、10年以上技術の基本が変わらなかったからこそ成立した事象であって、スターウォーズに代表される洋画のSFX大作による技術の革新以降は、国産特撮番組もまた新たな時代に入ったのだと考えられます。



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[ 2020/01/27 19:51 ] 怪獣ブーム雑感 | TB(-) | CM(0)

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